コンセプト



被災しなかった我々と被災地を結びつける。
震災を自分の問題として認識するということ。

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感じる

被災地にいない我々はテレビや新聞を通じてしか状況を知ることができません。
しかも今回のことでメディアの報道が偏っていることもわかりました。
実際に現場にいくこと、そして現地の人と話すこと、今回の震災を生で"感じる"には現場に行ってみるしかありません。

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話し合う

実際に被災地に行くとほとんどの人は何も言葉を発することができないと思います。
感じたことを自分自身で理解する、噛み砕くには一緒に見た仲間と震災について"話し合う"ことが大切です。 椅子を並べて車座になって焚き火を囲みながら。

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考える

何が起きたかを理解したら、自分自身に振り返って自分がなにに根ざして生きてるか考えることでしょう。

  • - 日本という土の上に生きるということ
  • - 文明社会の便利さに生かされているということ

考えましょう、"自分に何ができるかを"。
被災地を見渡せる"BaseCamp"を通じて

このプロジェクト進行にあたって

被災地で起きたことを認識して、自分に何ができるかを考えた時に"不謹慎かどうか"という立ちふさがる壁があります。

今回の震災での死亡者・行方不明者は2万4千人足らずです。これだけの方々の尊い命が一挙に失われたこと、そして約5万世帯の住宅や自動車などの財産も流されてしまったことは、被災地にいない我々にとっても他人事ではありません。

日々ながれる現地の情報、そして倫理に訴えかけるようなコマーシャルがテレビや新聞から溢れ出てくるため、日本人はいまでは大分おさまったものの緊張状態の中にいると言ってもいいと思います。その緊張状態の解決のために我々は募金をしたり、ボランティアに出かけていったりします。一方で不謹慎ということで宴会や卒業式・入学式もしくは例大祭などが"自粛"、中止になりました。

ところが、関東大震災では10万人が亡くなっており、また江戸時代の初期の明暦の大火でも10万人亡くなってます。当時の人口を考えるとすごい人数です。我々は直接は知らないものの、このようなことは何度か繰り返されていることであるということ。そしてその度にこれを乗り越えて新しい世界を作ってきたということを認識しなければなりません。

明暦の大火の時、隅田川では戦略的な理由から橋をかけるのを禁じており、そのことにより大量の人が亡くなりました。そのため、その直後両国橋や永代橋などがかけられ、菩提を弔う回向院と多くの見世物小屋、芝居小屋、茶屋が建てられ大変賑わいました。我々も不謹慎などと言っていないで次に向かって立ち上がらねばなりません。